今回の記事のタイトルは、誤解を招きやすい表記だなぁ…と思います。
とはいえ、端的に内容を表そうと思うと、短いセンテンスではむつかしく。
詳しく書くと、
イマジナリーフレンドという存在・現象を社会的に認知してもらうためには、今よりも広い経済圏が必要だと思った
という話。
「私とイマジナリーフレンドの関係性」について考えていったら、「私とお金の関係性」まで考えるようになった、ということを、備忘録として残しておこうと思います。
「イマジナリーフレンド」という心理現象が「お金」という現実的な物質と、私の中でどう結びついたのか。
興味のある方に読んでいただけましたら嬉しいです。
目次
1.私は自分のイマジナリーフレンドの存在を社会に認知されたかった
2.体を壊して、お金の勉強を始めたとき
3.お金の正体は「縁の可視化」
4.社会では「お金=血液」
5.それなら私も、イマジナリーフレンドで経済圏を作ろうと思った
私は自分のイマジナリーフレンドの存在を社会に認知されたかった
私は、音楽を作ることをライフワークにしています。
イマジナリーフレンドがいることと音楽を作ること、どちらが先に自分の中にあったのかはわかりません。
たぶん、どちらも同じ「自分の感受性の強さを調整する方法」なんだと思います。
「イマジナリーフレンドがいること」は私を構成する大事な一部です。
自分の音楽を発信するうちに、自分の感性のことをひた隠しするのがつらくなり、ライブやこれまでのブログなどでイマジナリーフレンドのことを少しずつ打ち明け始めるようになりました。
自分でもイマジナリーフレンドについてよく知らないうちは、「これは精神の病気なんじゃないか…」と思ったりして、人に話すことができませんでした。
その後、自分でもイマジナリーフレンドの情報を集めるようになったり、自分自身のことを見つめなおしたりして、イマジナリーフレンドがいることは病気ではなく、感受性が強いだけなのだと思うようになりました。
そこから、「じゃあ怯えて隠すことはないじゃん」、「イマジナリーフレンドやイマジナリーフレンドがいる人の存在が異端ではなく、今より少しでも認知される世の中になれば、私は今より生きやすくなるんじゃん」という考えに至りました。
それなら私がイマジナリーフレンドのことを発信して、私が生きる世界を生きやすくしよう。
昔の私みたいに、イマジナリーフレンドのことがよくわからなかったり、イマジナリーフレンドがいる人の存在が身近にいなくて不安だったりする人が絶対にいるはずだから、昔の私が欲しかった情報を全部発信しよう。
という思いが強くなり、新しくホームページを作って、こうして文章を綴るようになりました。
私は自分のイマジナリーフレンド(または「私」という「イマジナリーフレンドがいる大人」のこと)を発信するにあたり、インターネットや音楽や物語を作るという手段を使っています。
それでも、それが私以外の人の目に届かないうちは、社会に認知されにくい。
音楽を作って、物語を作って、でもそれがまだ手元にあるうちには、周りに広まっていることにならない。
じゃあ何が足りないんだろう?
と考えるようになりました
体を壊して、お金の勉強を始めたとき
私は音楽を作りつつ、他に仕事をして生活費を稼いでいたので、 「会社から給料をもらう」ことと「自分でお金を稼ぐ」ことの違いをよく考えていました。
30代にさしかかる頃、仕事がしんどくて体を壊し、勤めていた仕事を辞めることになりました。
「体を壊すような仕事はもうやめよう」「自分の音楽でお金を稼げるようになろう」と思い、挑戦してみたかった個人事業主になりました。
個人事業主になったことで、それまでとお金の考え方が変わってきました。
「『お金を稼ぐ』ってどうすればいいんだろう?」という疑問への答えがすぐに見つかるわけでもなく、「そもそもお金ってなんだろう?」という疑問が新たにわいてきました。
会社を辞めて病気の治療をしている間、お金や経済・経営の本を読み漁りましたが、ピンとくる答えは見つかりませんでした。
「お金は我慢料」とか、「お金は信用を数値化したもの」とか、よくわからなかったのです。
(「我慢料なら今よりガマンしなきゃお金は稼げないの?」とか、「信用の数値化って、じゃあ悪いことしてお金を集めてる人は何の信用があるの?」とか、どうしても斜に構えて捉えてしまって。)
人の言ってることがわからないなら、じゃあ「自分にとってお金とは」という視点で考えてみよう、と思い、改めてお金の勉強を始めました。
お金の正体は「縁の可視化」
どのタイミングだったかすっかり忘れてしまいましたが、「お金って人と人とのやりとりでしか生まれないんじゃ…!?」と思って、「それって『縁』だよな!?」って、ピンときました。
お金は「縁を目に見えるようにしたもの」という言葉は、私にはとてもしっくりくる言葉でした。
お金って、「人間だけが使うもの」ですよね。
あと、「好きな相手とも嫌いな相手ともやりとりが発生するもの」だと思うんです。
私、嫌いな人からお金や物をもらうのがすっごく嫌で、よく断ってました。笑
金の切れ目が縁の切れ目って言葉は大好きです。笑
逆に、好きな人にはお金使いたくなっちゃうし。オタクだから、推しには課金したいし。
それってやっぱり、「縁を強化したい」「関係性をより多く持ちたい」という意識が少なからず発生してるんだろうなぁ、と思うんです。
(余談ですが、おしゃれな雑貨屋さんとかスピリチュアルな場とかだと、「100円」を「100縁」って書いてあるようなところがありますよね。あれってそういう意図があったのかなあ…?私はあんまり好きじゃなくって。単位の「円」と関係性の「縁」はまたちょっと違う気がしているので。)
縁を可視化したとき、縁の多さ(100円を100人からもらう)のと、縁の深さ(10000円を1人からもらう)っていうのにも分かれるなぁと考えました。
その多さとか、深さとか、そういう「縁=人間と人間のあいだでのやりとり」でお金って発生してるんだなぁ、っていうのが、なんとなく体感として掴めるようになりました。
社会では「お金=血液」
お金が人と人とのやりとりの可視化とするならば。
お金そのもののやりとりというより、お金を介したモノやコンテンツのやりとりが大事なんだろうなぁ、というか、もともとはモノやコンテンツをやりとりするための道具がお金なんだろうなぁ、とわかりました。
情報としてわかるというより、それが自分の実生活に根付いているという体感を持てるようになりました。
お金の流れがあることでモノやコンテンツの流通がやりやすいということは、お金は人体における血液のような役割によってを果たしているんだなぁ、と。
血液(お金)があることで、栄養素(モノやコンテンツ)が体(社会)の隅々まで届けられる。
たぶん、いろんな人が同じようなことを考えてたり発表したりしてるんだと思います。
が、それを自分の体感覚として得られたのは、私にとって大きな変化でした。
(またまた余談ですが。ハイキューというバレーボール漫画のワンシーンに「俺たちは血液だ」という台詞があって、最初見たときは「うわーーーこのセリフ恥ずかしいーーー」って思っちゃったのですが、今となっては「クロさんすげぇ…!!!」って感動してます。笑 ボールをつなぐという意識の表れが「血液」なんですよねぇ…その台詞が高校生で出てくるって…かっこよすぎる…。)
体が大きい生き物ほど、血液の量って多いと思うんです。
血管の長さも長くなるでしょうし。
モノやコンテンツも同じじゃないかな?と。
お金の量やお金の届く範囲が大きくなれば、コンテンツが流通する経済圏が広くなって、そのコンテンツが社会的に認知されやすくなる。
ドラえもんやキティちゃんなどなど、「誰でも知ってるキャラクター」って、今まで動いてきたお金の量がすっごく多いと思うんですよ。
市場の大きさが、認知の広さになる。
お金の流れ(量・経路の長さ)とコンテンツそのものの充実度(栄養の豊かさ)、どちらが先にというより、どちらも同時に発展させていけば、コンテンツの社会的な認知って進むんじゃないかなぁ。
というのが、今私が考えている「お金」です。
それなら私も、イマジナリーフレンドで経済圏を作ろうと思った
私が今まで作っていたコンテンツ(音楽や物語)は、血液における栄養素の部分であって、今からその認知に必要なのはその流通経路=お金の流れなんだなぁ、と気付きました。
コンテンツが乗るお金の流れを作ることで、
2)それと同時に、経済に乗って「イマジナリーフレンド」という心理現象の認知がされて、今しんどい人に必要な栄養素(情報)が届く
3)栄養素(情報)が増えることは社会の損失にはならず、むしろプラスになる
という、いいことづくめなんじゃないかなぁ、と思ったのです。
これが栄養素(人を豊かにする情報)ではなく毒素(人を傷つける情報)だったら「やめよっかな…」って思うけど、イマジナリーフレンドは病気じゃないって知ってるからね。
この情報は私にも、私以外の誰かにも必要な栄養素であるという確信があるから、堂々と流通を進めていいんじゃないかな、って思っています。
そういうわけで、「イマジナリーフレンドを流通させる経済圏を作ろう」と思い至ったのです。
ここでやっと、タイトルの「イマジナリーフレンドを確立させるために、お金が必要だと思った話」に繋がります。
今までは、「お金儲けってなんだか悪いことしてるみたい…」っていう罪悪感が少なからずありました。
でも、お金って自分にとって何なんだろう、って改めて考えることで、「あれ?お金って実は重要な役割を担ってるんじゃん?」ってことがわかったし、「お金が多いって、社会に必要な情報を届ける中ではすっごく必要なことじゃん」って思えるようになりました。
お金そのものに罪悪感を抱くんじゃなくって、その使い方が大事なんですよね。
ナイフと一緒で、料理を作るためにも人を傷つける道具としても使えるけれど、それを自分がどう使うのか。
私のこれからの目標は、「イマジナリーフレンドの経済圏が大きくなるように行動する」です。
そのための手段を、今いろいろ勉強して、実験を繰り返しているところです。
このホームページものそのひとつ。
もしご興味ある方がいらっしゃいましたら、流通のお手伝いをしていただけたらすっごく嬉しいです。
とりあえず、私が作った曲を聴いてみてください。笑
んで、「これいいじゃん!」って思ってもらえたら、知り合いにオススメしていただけると、すーーーっごく嬉しいです。
これからも、流通する価値がある栄養素をたっぷり含んだ、音楽や物語・情報をいっぱい発信していきます。
どうぞよろしくお願いします。
それでは、また。