2018年、「プーと大人になった僕」(原題:Christopher Robin)という映画が公開されました。
なんとなく、キャラクターとして・アニメーションとして見ていた「くまのプーさん」という作品。
「プーと大人になった僕」では、クリストファー・ロビンが大人になり、プーさんたちが3DCGによって動くぬいぐるみとして描かれます。
それを見て、ガツンと衝撃を受けたのですが。
「くまのプーさん」は、クリストファー・ロビンのイマジナリーフレンドのおはなしなんですよね。
プーさんの立ち位置は、原作・ディズニーアニメ・今回の実写映画において若干の違いがあると思うので、少しずつ紐解きながら、あわせて私の見解も述べたいと思います。
目次
1.「くまのプーさん」について
1-1 原作児童小説「クマのプーさん」
1-2 ディズニーアニメ「くまのプーさん」
1-3 実写映画「プーと大人になった僕」
2.大人になっても、イマジナリーフレンドがいる人
3.「プーさんのハニーハント」のここに注目!
「くまのプーさん」について
「くまのプーさん」を大きく分類すると3つの作品に分かれます。
- 原作児童小説「クマのプーさん」
- ディズニーアニメ「くまのプーさん」
- 実写映画「プーと大人になった僕」
それぞれ特徴が異なりますので、まずはそこから。
詳しい内容が知りたい方はWikipedia「クマのプーさん」のページをご覧ください。
原作児童小説「クマのプーさん」
原題は「Winnie-the-Pooh」、イギリスの作家「アラン・アレクサンダー・ミルン」の書いた児童小説です。
ミルンの一人息子のクリストファーがもっていたテディ・ベアに着想を得て書かれた作品です。
クリストファーは、プーの他にもイーヨー、ピグレット、カンガとルー、ティガーのぬいぐるみを持っていました。
クリストファーと母親のダフネが一緒にぬいぐるみで遊んでいるのを見て、それを物語として描写し、作品として発表しました。
ディズニーアニメ「くまのプーさん」
その後、ディズニーが「くまのプーさん」の商品化に対する使用許可権を購入し、アニメーションが作られていきました。
ここからは私の意見になりますが。
元々は「ぬいぐるみで遊ぶ男の子」という、読者と同じ目線にいたクリストファー・ロビンが、
アニメーションになることで、キャラクターのひとりになってしまったように感じます。
プーというぬいぐるみで遊ぶクリストファー・ロビン
ではなく、
「100エーカーの森で一緒に遊ぶプーとクリストファー・ロビン」
という構造に変化したのです。
現代において、くまのプーさんという作品をディズニーアニメから知る人がほとんどでしょうし、私もディズニーから知ったので、原作小説を読んだことがありませんでした。
クリストファー・ロビンが実在した男の子だとも知りませんでした。
アニメーションでしか知らなかったので、ただ単に「プーと一緒に遊んでいる男の子」としか見えていなかったのです。
実写映画「プーと大人になった僕」
原題は「Christopher Robin」、つまりクリストファー・ロビン自身が主役になった映画です。
まず最初の衝撃は、クリストファー・ロビンの青春時代の壮絶さ。
プーたち100エーカーの森の仲間に別れを告げ、寄宿学校に入学。
父親の死が早くに訪れてしまったため、自分が家の大黒柱にならなければならないプレッシャー。
そして、第二次世界大戦への出兵。
大人になる準備ができないまま、激流に飲まれて「大人にならざるを得ない」状況になります。
そして社会で働くようになり、妻を迎え、娘も誕生し、普通の大人として生きているクリストファー・ロビン。
そこに100エーカーの森からプーがやってくるのです。
あとの展開や、動き回るプーのかわいらしさは、映画を見てのお楽しみ、ということで。
*
「プーと大人になった僕」では、プーたちが【意思を持って動くぬいぐるみ】として登場するので、現実のイマジナリーフレンドとはだいぶ違う存在ではありますが。
私がこの映画で一番うらやましく思ったのは、「イマジナリーフレンドが本当にそのまま目の前に現れて動いたら絶対楽しいだろうなぁ」ということでした。
大好きだったぬいぐるみ、自分が名前をつけて性格を想像して遊んでいた相手が、本当にその性質を引き継いだまま動き出す…と妄想したら、かわいさしかない。
私の場合、イマジナリーフレンドはぬいぐるみもいますし、自分の頭の中にしかいないキャラクター(あえて「キャラクター」と表記しますね)もいます。
私のイマジナリーフレンド、くまのぬいぐるみのダンテくんが、少し自信なさげに歩いたり喋ったりしたら。
完全に実体のないイマジナリーフレンドのあーちゃんと、一緒にお茶をしたりお散歩できたりしたら。
夢のような話です。
「プーと大人になった僕」という映画では、自分がかつて大好きだったイマジナリーフレンドが意思を持って動き回るのです。
もうね、プーさんが動いているだけで涙が出ました。
あまりに愛らしい。
アニメーションとはまた違う、CGならではの、ぬいぐるみが動いているもそもそ感。最高です。
大人になっても、イマジナリーフレンドがいる人
多くの人が、子どもの頃自分にも経験がある、もしくは小さい子のそのような描写を見ても違和感を抱かない、
【ぬいぐるみや人形に愛称をつけてかわいがる行為】
【ぬいぐるみとおままごとをする行為】
または
【その場に架空の存在を作りおままごとをする行為】
【架空の存在との空想を繰り広げる行為】
すべて「イマジナリーフレンド」のくくりに入ります。
イマジナリーフレンドは、幼少期にはあって違和感のない存在ですが、ほとんどの人は成長するにつれその現象がなくなっていきます。
大人になってもイマジナリーフレンドがいる人ももちろんいます。
私もそのひとりです。
大人になってもイマジナリーフレンドがいる人は、感受性が豊かだと言われています。
個人的には、HSPの人が多いのではないかと思っています。
「プーと大人になった僕」では、プーたちはイマジナリーフレンドではなく「動くぬいぐるみ」としてクリストファー・ロビンに会いに行っているので、厳密には「大人のクリストファー・ロビンのイマジナリーフレンド」ではないでしょう。
大人のクリストファー・ロビン自身は、「大人になってもイマジナリーフレンドがいる人」とはカウントできません。
ただ、「幼い頃にイマジナリーフレンドがいた経験のある大人」なのは間違いありません。
みんな、イマジナリーフレンドという単語を知らなくても、絶対にその現象を知っているはずなのです。
イマジナリーフレンドは病気ではなく、ただの心理現象です。
イマジナリーフレンドがいることで苦しい思いをしている人は、その原因はイマジナリーフレンドがいることではなく、イマジナリーフレンドがいるくらいに豊かな感受性のせいであることが多いのです。
私は「プーと大人になった僕」を見て、プーさんがもともとイマジナリーフレンドとして存在したぬいぐるみだったと気付いて衝撃を受けました。
その衝撃は、実写映画として『大人』のクリストファー・ロビンと『ぬいぐるみ』のプーが描かれたからこそ受けたものでした。
アニメーションの中で、プーと話す子どものクリストファー・ロビンを見ていたときには気付かなかったのです。
誰もが知っているキャラクターすら、そもそもはイマジナリーフレンドだったということは、今現在イマジナリーフレンドを持つ人たちにとってどれだけ心強いでしょう。
感受性が強いあまりに「イマジナリーフレンドがいることがしんどい」だとか、「これっておかしな病気なのかもしれない…」と悩む人がいるのも事実です。
私がかつてその一人だったので。
イマジナリーフレンドがいること、またはイマジナリーフレンドがいるくらい感受性が豊かであることは、大きなギフトだと私は思っています。
かつて子どもだったみんなが、自分だけのイマジナリーフレンドと触れ合った過去がある。覚えていてもいなくても。
くまのプーさんは、ひとりの男の子のイマジナリーフレンドから始まり、今は全世界の人たちに愛されるキャラクターになっています。
今、イマジナリーフレンドのことでつらい思いをしている人は、そっとプーさんのことを思い出してみてください。
こんなにも全世界の人が知っているイマジナリーフレンドがいます。
「プーさんのハニーハント」のここに注目!
2019年12月、数年ぶりにディズニーランドに行きました。
この数年はずーーーっとシーでお酒を飲んでいたので、本当に久しぶりのランドです。イッツアスモールワールドがリニューアルしてから初めて行きました。笑
プーさんのハニーハント、無事にファストパスがとれたので乗ってまいりました。
待機列の通路が大きな絵本のページになっているの最高です。絵本の中に入りこんじゃう。ここからもう童心にかえっちゃいます。
アトラクションは安定の楽しさ。
今回私が感動したのは、アトラクションが終わって出口に向かうときの通路です。
皆さん、最後、素通りしてませんか?
私はしてました。めっちゃ素通りしてました。
通路の最後、クリストファー・ロビンの子ども部屋になってるって知ってました?
私、今回初めて知りましたよ。
あのね、めちゃくちゃ感動しました。
ランドの写真はあんまりあげちゃいけないだろうから割愛させていただきますけれども、すごいです。
実はちゃんとベッドがあって、窓際にあるアルファベッドのおもちゃには100エーカーの森の仲間たちの名前が作られてあって。
ぬいぐるみのプーもいて。
窓の上の棚も見てみてください。
みんなのぬいぐるみがちゃんとあるんですよ。
ハニーハント乗った人、ぜひ最後の子ども部屋までエンジョイしてみて。
小さい頃のクリストファー・ロビンの生活や、子どもの頃の自分に触れて帰ってくださいな。
イマジナリーフレンドのことで悩む人たちがいなくなり、
イマジナリーフレンドという単語が当たり前に浸透している世界になりますように。
そのために今の私ができることを少しずつやっていきたいと思っています。
それではまた次回。