イマジナリーフレンドがいる大人って変?

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今回は、「イマジナリーフレンドがいる大人って変?」ということについて。

そもそも、イマジナリーフレンドって、幼児には当たり前にいると思うのです。
そこにはいない存在を目の前に作り出しておままごとをするだとか、人形やおもちゃに話しかけて遊ぶとか。

もともとあった感受性が、大人になるにつれて希薄になるだけで、
じゃあ子どもの頃の感性を持ったまま大人になるのは変なのか?という話。

全然変じゃないです。

そして、その感性が希薄になった大人でも、見えない存在と遊ぶ今の小さい子を見たところで「そういう時期なんだな」って思うだけですよね。
イマジナリーフレンド自体を否定しているのではないんです。

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「イマジナリーフレンドがいる大人です」、と公言しています


私はイマジナリーフレンドがいることを公言している大人です。

公言はしていますが、堂々と「こういう存在がいます」と口にして発表するのは、こういうネット環境か、自分がライブをするときにMCで話すときか、くらい。

ネットには、イマジナリーフレンドという単語を知っている人が多いなあ、と体感しているのですが、なぜでしょう。
皆さんどこで知ったのかなと不思議です。
ともかく、私が普段ぷかぷかネットサーフィンしている環境では、イマジナリーフレンドというものへの理解が進んでおり、公言しやすい状態です。
だから私も話ができます。

自分がライブをするときのMCでは、「私はこういう感性を持って音楽を作っています」という自己紹介と、イマジナリーフレンドという単語を少しでも覚えてもらうため、という意味で公言しています。

初めてその単語を聞いて、「だから何?」という感想で全然良いのです。
そのMCや楽曲を100人の人が聞いて、99人の人が「だから何?」と思っても、そこにいるかもしれない、イマジナリーフレンドのことで悩んでる1人が「同じような人って世の中にいるんだ…!」と思ってくれたら、それでいいと思っています。

公言していない場面・所属先もある


前述したとおり、私が公言しているのは「イマジナリーフレンドのそもそもの説明がいらないネット環境」と「自身のライブMC」、あとは「イマジナリーフレンドの説明がいらない友人」くらい。

家族には言っていません。
言わなくても生活に支障がないのと、理解が得られるかの確信が持ててないからです。
(このサイトを見ていたらバレるな~とは思います。笑)

学校に通っていたときも、先生や友達には言っていません。
「この人になら大丈夫」と思ったスクールカウンセラーの先生や親友には打ち明けたことはあります。
その他大勢の人には言っていません。

過去に所属した職場にも言っていません。
仕事の内容には関係がないからです。

カミングアウトする相手は選んでます


イマジナリーフレンドの存在を隠すことって、つらくないですか?
私はとてもつらかったです。
私の感性の大事な一部なのに、それをひた隠しにしてこのまま生きるのか、と思うと、すごく鬱屈した気分になりました。

なので、カミングアウトする先を選んで公言しました。

・人間の心の機微に理解があり、イマジナリーフレンドという現象をわかってくれそうな人
・「この人になら言っても大丈夫」という信頼が築けている相手

公言したからといって、ところかまわず言いふらす必要はないのです。
私は、イマジナリーフレンドがいることを隠していること・黙っていることがつらかったので、相手を選んで話しました。
それだけのことなのです。

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イマジナリーフレンドがいるのは病気なの?

「イマジナリーフレンドがいる大人」だからできること


多くの人は、大きくなるにつれて薄れていく「イマジナリーフレンドがいるという感覚」。
その記憶や感覚をひきついで大人になったからこそできたことがありました。

1)自分の感覚と真正面から向き合うようになった
2)子どもの感覚が手にとるようにわかる
3)創造性が豊かである
4)自分の機嫌が自分でとれる


1)自分の感覚と真正面から向き合うようになった

イマジナリーフレンドがいる人は感受性が豊かな人が多いと思うのです。
私はHSP(Highly sensitive person)なのですが(HSPについての記事も作ろうと思っています。出来上がったらお知らせしますね)、他人が受けたはずの感覚が自分に流れ込んできてとてもしんどいことが多くありました。

そこで、自分の感覚と他人の感覚を意図的に切り離し、自分の感覚にだけ集中するという練習をしました。
その中で、自分の感覚とイマジナリーフレンドの思考も切り離す練習もやりました。

自分の感覚や思考って、自分を構成するとても大きな一部だと感じませんか?
私は昔、自分からイマジナリーフレンドをとりあげたら自分が自分ではなくなると思っていました。

感覚の整理整頓をするうちに、私の感覚や思考は私そのものではないことがだんだんわかってきました。

当時、どこで目にしたのか失念してしまいましたが、『自分の思考は自分そのものではなく、髪の毛のようなもの』という文章を読んだことがあります。
髪の毛のようなものなのだから、自分から切り離して「モノ」として捉えることもできるし、思考や感覚を他人にけなされたからといって自分自身の存在そのものを否定されたわけではない、という意味だったと思います。
とても衝撃的な言葉でした。

私と他人の感覚、私とイマジナリーフレンドの思考、ひいては私と私自身の思考を切り離す練習をしたことで、私自身の感覚や思考が整理整頓されて、日常で得る情報を過敏に受け取らずに取捨選択することができるようになりました。
今でもその練習は続いています。
もっと自分の思考や感覚を研ぎ澄ませたいし、レベルアップさせたいです。


2)子どもの感覚が手にとるようにわかる

これは、HSP共通の性質というより、私独自のものかもしれませんが…。
イマジナリーフレンドがまだいる、ということは、子どもの頃の感覚がまだ残っている、というふうにも言えると思っています。
「子ども」と「大人」の感覚が自分の中に共存している感じ。

街中で見かける小さい子や、顔見知りの子どもの言動で、「なんでそういう行動をしているか」とか「今何を考えてるか」とかがピンときてしまうことがよくあります。

私は、子どもの感覚を忘れたであろう大人からからかわれるということが大嫌いな子どもでした。
こんな心ない大人になるくらいならずっと子どものままでいたいと思っていました。
後述する「大人と子どもの定義」を自分の中で再確認してからは、大人になってもいいとは思えましたが、それでもいまだに「子どもの感覚を忘れた大人」にはなりたくないなぁと思っています。
私が小さい頃傷ついていた思いを今の小さい子にさせたくない、という一心です。
感受性が強かったからなおのこと。

目の前の小さい子が何を求めているのか、ピンとくるような場面があると、その場面を経たあとにその子から好かれることがよくあります。
その子を安心させてあげられたんだな、と嬉しくなります。
それは、目の前の子に安心を与えていたと同時に、過去の嫌な思いをした小さい自分が癒えていくことが同時に起こっている瞬間なんだろうなあと思います。


3)創造性が豊かである

むしろ、何かを作り出さずにはいられなくないですか?
私はそれが音楽だったし、絵だったし、文章でした。
何かを作るって、自分の感覚の整理整頓にも高効果なんですよね。

創造力が豊かだと、世の中を豊かにします。
他人の創造ばかりを享受するだけだと、いつかは枯渇するからです。
なにかしらの物事を作り上げることができる、というのは、すごい才能です。
その創造にイマジナリーフレンドとのやりとりが関わっているのなら、それはもうWin-Winでしかありません。


4)自分の機嫌が自分でとれる

先程の文章にもあった、「大人と子どもの定義」。
私は、「自分の機嫌を自分でとれる人が大人」「自分の機嫌を他人にぶつけるのは子ども」だと考えています。

自分の機嫌を自分でとれるようになったのは、自分の感覚に真正面から向き合うようになってからですし、これは声を大にして言いたいんですけど、イマジナリーフレンドがいるからです。

私はよく、今の自分の中でごちゃごちゃしていることをイマジナリーフレンドに話します。
話すことでまずスッキリしますし、そこから自分にはなかった考えが返ってくると「なるほど!」と新たな視点を得ます。

自分の機嫌を自分でとれるようになると、日常が楽しいです。
逆を言えば、他人の機嫌に自分が左右されなくなります。
自分にとって楽しいこと・嬉しいことを積極的に選んで決められるようになるし、悲しいことがあったらそこからどう対処しようかと考えることができます。
なにかあれば、イマジナリーフレンドに相談するのもひとつの手ですし。


以上の4つは、イマジナリーフレンドがいない大人でもできるようになることではあるだろうけれども、「イマジナリーフレンドがいる体質だからこそ、この出来事にぶつかる時期は早いだろうな」と思うことです。

イマジナリーフレンドがいるような感受性豊かな人たちが、その感受性で苦しむことなく、自分や周りを豊かにしていく原動力として活かしていけるようになりますように。
この記事がそのきっかけの一つになれれば幸いです。

おわりに


イマジナリーフレンドがいる大人、変じゃないです。
もちろん、幼児だけでなく学生・未成年・思春期の子にいてもおかしくないのです。
「イマジナリーフレンドがいるくらい感受性が豊かな性質」なだけ。

イマジナリーフレンドがいる大人、だからこそできることがあります。
私はその性質を音楽や文章にぶつけていますし、自分の創作活動や日常生活に使っています。

イマジナリーフレンドがいること・その感性があることで豊かな日々が増えることを、私がこうして発信することで証明していけたらと思います。
それでは、また。