こんにちは、kaworuです。
文章を書くのが好きなシンガーソングライターです。
今回は、「感性」と「感受性」についてのおはなし。
ことばのニュアンスを自分の中で言語化するとき、私はヘレン・ケラーの「Water!」を思い出します。
耳が聞こえない・目が見えない・言葉が話せないヘレンが、どうやって自分の内側に言語を取り入れたのか、っていう有名な話がありますね。
そしてそのきっかけになった単語が「Water(水)」である、と。
家庭教師のサリバン先生から指文字を教えられて、Waterという単語は知ったけれど、井戸の水に触れたときに、やっと「Water=今触れている水という物質」のことだと気付いた、というおはなし。
私はこれを、「単語と体感が結びついた瞬間」だととらえています。
私たちはどうかなあ。
今、生きている世界で、私たちは目も見えてるし耳も聞こえてるはずなのに、
たくさんの単語は知っているはずなのに、
『体感』を得ている言葉って、実は少ないんじゃないのかな。
私は数年前から、
「自分の知っている単語を自分の中で再定義してみよう」
「この言葉の体感を得てみよう」
っていう実験を細々とやっておりまして。
今回、どうしても誰かに話したいことがあるんだけれども、それを説明するためにはまず「感性」と「感受性」の私の中での感覚の違いを説明しないといけない!!!と思って、この記事を書き始めました。
また、感性・感受性をみがくために、感性・感受性が豊かすぎてしんどい人が少し楽になるために、こういうアプローチもあるんじゃないかな?っていうことも書いてみました。
しばしのあいだ、お付き合いくださいませ。
目次
1. 「感性」と「感受性」の違いって?
2. 「感性」と「感受性」の違いを体感で得るまで
2-1. 単語の違いから気付いたこと
2-2. 「感性」と「感受性」が動く場面で検証してみた
2-3. 感性はアウトプット、感受性はインプット
3. 「感性」と「感受性」をみがくために
3-1. 体の欲求を大事にする
3-2. 心の欲求を大事にする
3-3. 一人でいたい人、誰かと一緒にいたい人
4. 最後に
「感性」と「感受性」の違いって?
最初にドドンと結論を書いておきますね。
感性:自分の中から湧き上がってくるもの(発信)
感受性:何かの刺激を受けた時に感じたもの(受信)
だと、私は自分の中で再定義しました。
「感性」と「感受性」、辞書を引くとだいたい同じ意味としてくくられています。
『外界の印象を受けいれる能力』、だそうです。
医学的にはまた違う定義があるのかもしれませんが、今回は日常会話の中で用いるときに使うニュアンスの違いとして、という前置きをさせてください。
さて、以下に私が「感性=発信に使うもの」「感受性=受信に使うもの」と思うに至った理由を説明していきます。
「感性」と「感受性」の違いを体感で得るまで
私は、「感性」「感受性」といわれるものが、強くて豊かな方だなあと自覚しています。
「HSP」と呼ばれる人種でしょうし、「エンパス」にも片足突っ込んでるなあと思っています。
(今、HSPについての記事も作成中です。これが書きたいがために今この感性の記事を書いている!!!)
生まれつきなのか、育った環境によるものなのかは、正直わかりません。
そこらへんは研究者の方々にお任せするとして。
何がきっかけだったか忘れましたが、ある日、「感性」と「感受性」の違いが気になりました。
同じような言葉なのに、単語が2つあるってことは、たぶん何かあるな、と。
辞書を引いても、書いてあることは似たり寄ったり。
ネットで検索しても、あまり医学的な根拠はなさそう。
ということは、自分で勝手に再定義しても問題なさそう。笑
ではいつものように、自分の中で「感性」と「感受性」のニュアンスの差を、体の感覚で得てみよう!と思い立ったのでした。
単語の違いから気付いたこと
当たり前なんですけど。
「感性」と「感受性」って、【受】という文字があるかないかっていう違いがあるじゃないですか。
ということはですよ。
「感受性」の方がなんとなく、受け取る能力が高そうな気がしませんか。
単純だけどさ!笑
なので、「感受性」は「受け取る能力に関わる何か」だ、という仮説をまず立てました。
そしたら、じゃあ「感性」は何なん???って話になるのです。
「感性」と「感受性」が動く場面で検証してみた
なにかしらの情動が起こったとき(気持ちが動いたとき)に、『感性(感受性)が豊かだ』っていう言い方をしますよね。
私の日常には、「歌を歌う」「ピアノを弾く」「音楽を作る」「文章を書く」という動作が当たり前のように存在しています。
あと、好きなのは、「映画を見る」「本を読む」「美術館に行く」とか。
これまた情動が起こりそうなものばかりですね。
これらの動作を、なんとなーく自分が今使っている文脈で、【感性】を使うのか【感受性】を使うのか、区分してみました。
・歌を歌う→感性を使う
・ピアノを弾く→感性を使う
・音楽を作る→感性を使う
・文章を書く→感性を使う
・映画を見る→感受性を使う
・本を読む→感受性を使う
・美術館に行く→感受性を使う
おや、シンガーソングライターとして作業している動作と、自分が好きなこととで、【感性】と【感受性】の使い分けがバツッとわかれてしまいました。
ということは、私はやはり何かしらの意図を持って、【感性】と【感受性】のニュアンスをなんとなーくでもつかみかけているらしい。
意図があるとわかったのなら、あとは共通点を探して、言語化すればよさそう。
感性はアウトプット、感受性はインプット
さて、ここでお気付きでしょうか。
私が【感性】を使うとした作業たち、これらはすべて【アウトプット】の動作なのです。
そして【感受性】を使うものは【インプット】としてカウントできます。
・ピアノを弾く(音を出す)
・曲を作る(音楽を出す)
・文章を書く(自分の中の言語を出す)
・本を読む(他者の言語を取り入れる)
・美術館に行く(視覚情報を取り入れる)
ということで、前述した
「感受性=受け取る能力が関わる何か」
という仮説にもとづきますと、
「感性=自分の内側から外側へ出す能力に関わる何か」
と仮説立てられることになります。
この仮説をもっとシンプルにすると、
【感性】=【発信】に使う情緒
【感受性】=【受信】に使う情緒
という文言にまとまったのです。
「感性」と「感受性」をみがくために
前述したとおり、私は「感性」「感受性」が豊かな性質で、
豊かすぎるがゆえに生きるのがしんどいこともたくさんありました。
今も月に数回あります。
これでもだいぶマシになったほう。
別にね、感性とか感受性とか、なくても生きていけるとは思うんです。
ただ、感性や感受性が豊かだと、目に見える景色がすっっっごくカラフルで繊細になるんですよね。
友人のひとりはそれを「解像度が高い世界になる」って言ってました。
素晴らしい表現です。
解像度が高い世界、すっごく美しいんだけれども、
それがデフォルトだとしんどいことってあるんだよね…。
自分が情報の洪水にのまれてるみたいになる。
感性・感受性を、インターネットの発信・受信に例えると。
例えばネットで映画を見たいな~ってとき。
画質は荒いけど、ダウンロードは早くて、ストーリーはすいすい追えるのと。(こっち、感性・感受性があまり豊かでない人。)
画質はすっごく綺麗なんだけど、ダウンロードが遅くて、ストーリーがぶつ切りになってやきもきするのと。(感性・感受性が豊かすぎて困る人。)
どっちがいいか悪いかは好みの問題なんだけど。
画像がすっごい綺麗で、ダウンロードが早かったら、最高じゃん。
それが「感性をみがく」とか「感受性を豊かにする」ってことだと思うんですよね。
感性をみがくために、感受性を豊かにするために。
もしくは、しんどいくらいの感性・感受性をちょっとセーブするために。
私が体感を得るまでに実験したなかで、「これは使えるんじゃない???」っていう方法がいくつかありましたので、ご紹介します。
体の欲求を大事にする
このページの一番最初にも書いたんですけれども。
たぶんね、たくさんの人が、自分の身体の感覚を麻痺させて生きてるんですよ。
もしくはキャッチしてもスルーしている。
体の欲求を大事にすることは、感性・感受性をみがくのにもいいし、
感性・感受性があふれすぎてしんどい人(HSPの人)にもとっても有効だと思ってます。
なんでかっていうと。
HSPの人は、自分と他人の境界線があいまいで、他人の感覚が自分に流れ込んでくるからしんどくなりがちなのです。
ということは、境界線をきちんと引く練習が大事になってくる。
これを【自他の分離】といいます。
境界線をきちんと引くにあたって、『自分の体の欲求を大事にする』ことを練習すると、
「あ、これは自分の感覚だな」
っていうのと
「あれ?これは自分の感覚ではなさそうだぞ?」
っていう区別がつきやすくなるんです。
【自他の分離】は、感性・感受性をみがくにも、セーブするにも、どっちにも使える便利なツールです。
まぁだまされたと思ってやってみて!!!
- トイレに行きたいと思ったときに行ってますか?
今、おしっこしたい人はトイレに行ってください!
これ読んでる途中でも!すぐ行ってください!笑 - お腹が空いてなくてもご飯をつめこんでませんか?
逆に今、お腹は空いてませんか?
お腹空いてる人!なんか一口食べよう! - 喉がかわいたって思ったとき、ちゃんと水分とってますか?
今はどう?喉かわいてない?
かわいてたら水分とろう!!!今!!! - 今着ている洋服の着心地はどうですか?
窮屈なところはありませんか? - 今の気温はどうですか?
暑いですか、寒いですか?
できるだけいい温度になるように調節しよう!
今思いついただけでも、これくらいは挙げられるかな。
これをね、繰り返し繰り返しやっていくんです。
そしたら自然と、欲求がどんどんレベルアップしていくよ。
- 喉がかわいたな~
何を飲もうかな、お水?お茶?コーヒー?ジュース? - お腹空いたな~
何が食べたいかなー、おにぎり?ゆで卵? - ちょっと暑いなー、窓開けて換気しよう
- ちょっと寒くなってきたな、窓を閉めて上着を羽織ろう
- そういえばこの服は窮屈だからあんまり着なくなったな、
今度のゴミの日に処分しちゃお - うわ今めっちゃ眠い…15分くらいお昼寝しよ…ぐぅ…
とかとか。
私は練習を初めて数年経ちまして、もうだいぶ生活がかわってしまいました。
氷をいれた冷たい飲み物はあんまり体が欲してないってわかったから飲まなくなったし。
ブラジャーをすると窮屈だし肩がこるから、カップ付きインナーばかり揃えるようになっちゃったし。
「体がしんどいな…」っていう信号を前よりキャッチしやすくなったから、今はジムに行ったり整体に行ったりって、体のケアができるようになってきたし。
自分の体の信号は、自分しかキャッチできないですから。
【自他の分離】、ぜひぜひ練習してみて。
心の欲求を大事にする
体の次は心の信号もキャッチしてみましょう。
体の欲求は大体人間共通だから例が挙げやすいんだけど、
心の欲求は、人によってだいぶ幅が違うと思うんですよね。
これから書くのは私の一例です。ご参考程度に。
- 部屋にお花を飾りたいな…
- うわ、この本めっちゃ読みたい
- あの映画めっちゃ見たい
- 引っ越ししたい
- モルディブに行きたい
こんな感じで欲求が出てきたら、
まず最初の一歩をとりあえずやってみる。
- とりあえず近所のお花屋さんに行って、気に入ったお花を一輪買ってみる
- 読む時間はないかもしれないけどとりあえず本を買っておく
- 映画見る日を決めて、手帳に予定を書いておく
- すぐには引っ越しできない…けど、物件情報は検索しまくっておく
- モルディブの観光情報についてめっちゃ検索しておく
「へぇ~ツアーだとこのくらいの金額になるのか…」とか、
「うわここのホテルめっちゃ泊まりたい」とか!
とりあえず妄想を楽しむ
心の欲求に気付いて、最初の一歩を踏み出すと、
あ、もうこれで満足、気が済んだ!ってこともあるし、
うわ~~~めっちゃ楽しい~~~次はこうしよ!ってこともある。
満足してもいいし、次のステップに進んでもいい。
それは自分がどう感じたか次第。
大抵の場合、最初の一歩が一番難しいと思うのです。
というかしょっぱなは、「最初の一歩」を踏み出す前に、まず見つけるのが難しいかもしれない…!
例えば。
YouTuberになろう!と思ったときの「最初の一歩」ってなんだと思います?
「新しい照明準備しなきゃ…」とか「衣装用の洋服買わなきゃ…」とかじゃなくっていいんですよね。
とりあえず、今あるスマホで、動画撮ってみる。
別にまだ公開はしなくていいから!
手で持ってインカメとかでいいからさ!
髪の毛ボサボサすっぴんパジャマでいいからさ!
動画撮ってみて、「あ、もうちょっとここ改善したいな…」ってところがあったら、そこをこだわり始めてみる!
こんな感じで。
最初の一歩って、たぶん、やりたいことによってアプローチが全然違うと思うんです。
私はね~、今やりたいことは、USJに行くことかな!!!笑
でも、これを書いている2020年5月、今は新型コロナで行けないので。
ひたすら公式サイトを見たり、泊まりたいホテルを探したり、
公式ツイッターのジェットコースター映像見て妄想をふくらましています。笑
「もう外出も観光も大丈夫!」ってアナウンスが出たら、
いつでも出発できるくらいにはしておきたいなって思っている!
心の欲求、ぜひぜひ最初の一歩をやってみて。オススメです。
これもね、やっていくとだんだんレベルアップしてくから!!!
一人でいたい人、誰かと一緒にいたい人
人間には2パターンの人がいるんだそうです。
・外向型
・内向型
という2つ。
すっごくぼんやりと、外向型はポジティブで内向型はネガティブな印象を受けてしまいがちだけど、実はそうじゃないんですって。
自分のエネルギーをチャージしたいとき、休息が欲しいとき。
・誰かと一緒にいた方が充電・休息できる→外向型
・ひとりでいた方が充電・休息できる→内向型
だそうです。
これにあてはめると、私は根っからの内向型。
お昼に友達と遊びに行くのは全然楽しいんだけど、夜はひとりの時間が欲しい。
家族と一緒にいるのもちょっとしんどい。
なので、あんまり外向型さんの気持ちがわからなかったんですが。
この前テレビで、一人暮らししている女の子が、夜に数時間お母さんと電話をつなぎっぱなしで、ご飯食べたり掃除をしたりしてるのを見てね。
「あぁ!この子は外向型なんだ!誰かと一緒にいた方が充電できる人だ!」
って、とても腑に落ちました。
これも、どっちがいいとか悪いとかじゃなくって。
自分の体に合ったことをしないと絶対疲れちゃうんですよね。
だから、自分が楽な方を選ぼうよ、っていう話。
外向型さんが無理して一人でいても絶対しんどいだけだし。
内向型さんが無理して誰かと一緒にいても絶対に休まらないし。
自分がどっちのタイプか、ちょっと自分に聞いてみて。
そんで、自分が楽な方を選んでみて。
自分が楽な環境を、今自分ができる範囲で用意してあげて。
今思うと。
私の感性・感受性の暴走が落ち着き始めたのは、親元を離れて、学生寮に入ったときからでした。
実家にいたときより、ひとりになれる時間が格段に増えたからだと思うんですよね。
だからね、実家に帰っても、3日くらい滞在してるとどんどん疲れてくる。笑
「いい加減一人の時間をくれ~~~~~!!!」ってなってきます。
とある用事で帰省したとき、実家には泊まらずにひとりでホテルに泊まって、夜ご飯を親と食べたら自分だけホテルに戻って寝るっていうのを経験したのですが。
めっっっちゃ楽だった。
びっっっくりするほど快適でした。
ありあり。こういう帰省も全然あり。
内向型の人にとって、他人との物理的・心理的な距離をちゃんと置くのは大事ですね。
ということで、自分が内向型なのか・外向型なのか、ちょっと自分に聞いてみて。
今いる場所・よく過ごす場所で、自分が楽な環境を作ってあげてみてください。
毎日が難しければ、週に1日、月に1日だけでも。
最後に
感性・感受性が豊かすぎて困る人は、自覚をしていない場合もあると思います。
「この人は感性が豊かなんだろうなぁ…」と思って、それを相手に伝えると、「えー、そんなことないよー」って本人から否定されることも、たまにありました。
そういうときは、私と相手との感性・感受性の言葉の定義が違うから起こるんだろうなぁ、と思いました。
なので、私にとって感性・感受性とは何か、が、言葉として説明できたら、少しは会話の齟齬がなくなるんじゃないかなぁ、って。
最近ね、HSPって花粉症みたいだなぁ、ってよく思うんです。
同じ量の花粉が飛ぶ環境にいても、花粉症で苦しむ人と、少し鼻水が出るかな?って程度の人と、全然なんともない人と。
鼻水ズビズビの人に「花粉症じゃない?大丈夫?」って声をかけて、「いや、私のこれは花粉症じゃない…!」って否定されたら、そっかぁ、っていうしかない。笑
まぁ、ただの風邪かもしれないしね。
HSPは、花粉症みたいに血液の数値でわかるわけじゃないから、そういう、体内の何かしらの数値で出れば楽なのにな~って思うこともよくあります。
私が生きてる間にそういうの発明されないかなー。笑
自分が花粉症だなってわかったら、自分に合った薬を探して、症状をおさえるのと同じように。
HSPだなってわかったら、適切な対処法があると思うんです。
急性の炎症に対処しながら、自分の体を少しずつ体質改善していく。
HSPの性質は、人生をもっと豊かに過ごせる能力になると思っています。
前に述べたように、「画質が良く、ダウンロードも速く、解像度が高くて情報豊かな目線」になりやすいと思うのです。
それには、自分の性質を知って、自分の体と心に協力を惜しまないことが大事じゃないかなぁ。
私は自分でその練習を始めて、もうすぐ5年くらいになります。
5年前よりは生きづらさが少し減り、自分の感覚を整理しやすくなって、言語化しやすくなりました。
これからも自分の体験をシェアすることで、まわりまわって誰かの役に立ったらいいなあと思いつつ、記事を書いていこうと思います。
それではまた次回!