「82年生まれ、キム・ジヨン」と私のフェミニズム

目次


1. 私とフェミニズムの出会い
2. 私とキム・ジヨンの出会い
3. 「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ日
4. 映画「82年生まれ、キム・ジヨン」を見て
5. 「フェミニズム」という単語は嫌いです

私とフェミニズムの出会い


naccaという友人がいます。
私は高校1年生を2回やっていて、2回目の1年生のときの同級生。
だから、ひとつ年下だけど、私の同級生。

何がきっかけで仲良くなったのかは漠然としか覚えていないけれど、気付いたときには高校の近くのラーメン屋さんに一緒に行っていた記憶がある。

私は彼女と過ごす時間で、たくさんの経験をさせてもらった。

自分の頭の中で霧のようにぼやけていた思考を、とりとめもなく口から言葉に出すのを、受け止めてくれたこと。
二人で徹夜したあと、朝にラーメンを食べて、美術館に行ったこと(私はここで「サモトラケのニケ」のレプリカを見て、そのあと美術にとても興味を持った)。
お互いが大学に進学しても、付き合いが続いたこと。
一時期疎遠になった期間があり、そのあとまたやりとりをするようになったこと。

そんな彼女は、出会ったときから今でも、歌を歌っています。
曲を作って、ピアノを弾いて、付き合いが今でも続く中で、ライフステージが変わっても、歩みを止めない友人。

彼女は、私にはないアンテナを持っていて、それがとても興味深い存在でした。

私は彼女から、「フェミニズム」のバトンを受け取りました。

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大学生の頃、naccaちゃんが「フェミニズム」という言葉を教えてくれました。

でも、最初から何もかもが素直に受け止められてたわけではありませんでした。

それを素直に受け止めることは、私が育った文化を否定しなければいけなかったから。

九州の、男尊女卑がまだ根強い場所で育った環境は、私が大人になってからも、性格や考え方にまだまだ影響を及ぼしていました。

***

私が冷静に、フェミニズムを考えられるようになったのは、「東京で」「一人暮らし」をしたからだからだと思います。

それも、一人暮らしをして数年が経ってから。

私は実家にいたとき、こんな経験をしてきたのだ、とnaccaちゃんに話すたび、「あぁ、これは男尊女卑や家父長制が根底にある生活だったんだ」と、少しずつ気付いていきました。
naccaちゃんはそのときに得ていたありったけの知識や自身の体験談をもって、辛抱強く、私の頬を叩いて目を覚ますよう促してくれていたんだと思う。

とはいえ、九州の男尊女卑を逃れ、東京で一人暮らしをするようになってからも、セクハラや痴漢は常に身の回りにある。

九州から東京に出てきたからとて、日本全体に性差別・性搾取が根付いているので、何かがすぐに楽になるわけではない。
今だって、ふとしたときに『ガラスの天井』を感じて絶望することがある。

それでも、そのガラスの天井はぶっ壊せる日が来てほしい、と、今は思っている。

私とキム・ジヨンの出会い


naccaちゃんは数年前、生活の拠点を韓国に移しました。
そこに、どれだけの苦労があったのかはわからない。
めきめきと韓国語が喋れるようになったのを目の当たりにして、本当にびっくりした。

年に数回、naccaちゃんが日本に帰国したときに、タイミングが合えばご飯に行くのですが。
(大抵は帰国したnaccaちゃんの希望を聞くのだけれど、naccaちゃんが見つけてくるお店はいつも美味しい。勘の良さたるや。)

いつだったか。恒例のご飯のあと、本屋に立ち寄って、彼女が「82年生まれ、キム・ジヨン」という本を手に取りました。

韓国でベストセラーになった本の、日本語訳が出たのだという。

彼女は文芸にも詳しくて、いろんな本を薦められて私も読んだので(誕生日プレゼントに本とブックカバーをもらったこともあったなぁ、とても嬉しかった)、
なんとなく「あぁ、naccaちゃんが手にとる本なのだから、私もそのうち、この本を読みたくなるんだろうな」と思った。

思ったけれども、すぐには読まなかった。
ほんとうになんとなく、まだその本を手に取るには抵抗感があったのでした。

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ネット上で「#MeToo」や「脱コルセット」が騒がれるようになった頃。
私自身も「身だしなみとしての化粧」をしようと思う気持ちが減り、他人から性差に対して不当な扱いを受けたときに「それって男性にも同じようにします?」と抗議できるようになってきた。

「フェミニズム」を、やっと「自分事」として受け止められるようになりました。

そして、2020年10月、「82年生まれ、キム・ジヨン」が映画で公開されるという。

映画を見る前に、原作を読んでおこうと思って、やっと手にとることができました。

naccaちゃんが本を手に取ったときから、だいぶ遅れてではありますが、私もやっと読む勇気がわきました。

「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ日


「82年生まれ、キム・ジヨン」は、2016年10月に韓国で出版された小説で、
日本語訳は2018年12月に出版されています。

物語は、主人公のキム・ジヨンが、今どんな生活をしているのか。
どんな病を患ったのか。
ということろから始まります。

まるでノンフィクションのように描かれていく、キム・ジヨンの半生。
どのような環境で幼少期を過ごしたのか。
どんな学生時代を過ごしたのか。
どんな社会人になり、結婚をし、子をもうけたのか。

各章の終わりには、韓国社会がどんな状況にあったのか、
当時のデータが書かれています。

キム・ジヨンは、社会の中で平凡な女性として存在しています。
「キム」という姓も、「ジヨン」という名も、80年代の韓国に多い苗字と名前をピックアップして名付けられたというのですから、日本では「佐藤裕子」さんというような感じでしょうか。

とにもかくにも、キム・ジヨンは、「ありふれた女性」。
誰にでも共通点を見つけられる女性なのです。

***

本を購入したその日に読み終わり、
薄い墨のような絶望が残りました。

「ありふれた女性 キム・ジヨン」が経験したことは、私も経験した、日本でも当たり前のようなこと。
それは全部、薄い墨のような絶望がまとわりついている出来事なのだと、改めて目の前に晒されました。

今のこの世界にどれだけキム・ジヨンのような存在がいると思う?

これが当事者として受け取れない人ってどんな立場の人だろう?

文章は淡々と書かれていて、水を飲むように読み進めることができます。
でも、読後に水のうるおいは残りません。全く。
ただただ薄暗い絶望が残るだけです。

ジヨンは、登場人物の中でも、周りの女子に比べ恵まれている方でしょう。
金銭的にも、環境的にも。
実家にはある程度のお金があり、自身は大学にも入学し、なんとか就職もできる。

それは、私の境遇とも、とても似ている。

だからこそ、「お前は女なんだから」という、ただそれだけで、こんな扱いを受けなければいけないのか、という絶望が深い。

***

キム・ジヨンを読む少し前、『東京貧困女子。(中村淳彦著)』という本を読みました。


この本には、女性が生きる環境と貧困がどれだけ近いところにあるか、が書かれています。

そもそもの問題は、「女性が生きる環境=女性がこれまで押し付けられていた環境」なのです。
女性の努力が不足しているからではありません。決して。
気になった人は読んでみて。私はつらすぎて、読むのに1ヶ月くらいかかりました…。

私も、ジヨンだってそうだけど、言い方を乱暴にすれば、

「東京貧困女子の登場人物よりマシな環境」

で生きている。
それでも、貧困や、精神疾患、体調不良はすぐそこにある。

それは男も同じだって思うでしょう?
そうだよ。同じだよ。
なのになんで見て見ぬふりをしてるんだ。

もっと自分の問題として、自分が所属している社会の問題として捉えろよ。

***

この先、私よりも若い人たちがどんどん出てくる世の中になったとき、
私が感じた絶望が少しでもなくなっている世の中で生きてほしい。

そのためには、今どんな絶望があるのか、しっかりと見ることが大事だと思っています。

「82年生まれ、キム・ジヨン」は、そんな絶望のひとつを、まざまざと描いています。

映画「82年生まれ、キム・ジヨン」を見て


さて、早速見に行ってきました、映画の「82年生まれ、キム・ジヨン」。

原作と大きく違う点は、時系列。

本では、ジヨンが小さい頃から大人になるまでが順番に書かれていますが、
映画では、大人のジヨンが昔を回想するように話が進みます。

あと、精神科医の先生と、夫の存在(スタンス)も、原作とは異なるところ。

「あぁ、ジヨンはこんな家に住んでるんだな」とか、
「自分の実家に帰る安心感、夫の実家での緊張感はリアルだな…」とか、
映画になって視覚化されたことで、よりリアリティが増しています。

あとね、私はコーヒーを飲みながら映画を見たので、映画の中に出てくるコーヒーの描写がとても身近に感じて、自分も登場人物になったような心地でした。笑

***

しかし、正直に申し上げまして、私は原作の方が好きかな。

映画は希望を感じるラストで終わるけれど、原作は絶望がただようまま終わる。

映画のラストって、「結局、個人の能力で状況を変えてんじゃん…」って思ってしまいました。

そうじゃない、そうじゃないんだよ。

日本だってそうだけど、個人の能力で状況を変えるのって結局、
「私は努力したら状況が好転しました。だからあなたも頑張って!」に繋がるし、
それは「状況が好転しないのは、あなたの努力が足りないからだ!」に繋がっていく。

努力でどうしようもないことだったから、
社会構造によって苦しめられたから、ジヨンは精神を病んだんでしょう?
それはジヨンが弱いからじゃないでしょう?

希望を感じるラストになったことは、何か意図があってのことでしょうが、
私は受け入れられなかったなあ…。

(蛇足ではありますが、あくまで今の私の視点から見た感想です。
 私もいろんな人の感想を目にしました、いろんな意見がありました。
 もちろん好意的な意見も、否定的な意見も。
 どんな感想を抱くかは、その人の視点によっていろいろ変わると思います。
 そんな映画です。
 ぜひ、今のあなたが何を思うかを大事にしてください。) 

(というか、私も数年後に映画を見返したら、また違う感想を抱くかもしれない。
 ジェンダー論はこの数年で急激に変化してきました。
 ここから先、また大きなうねりが来そうな気がするのです。)

***

あと、原作と映画で違うなぁと思ったところ、その2。

原作では、「ジヨンはこの時代にこういう経験をした」「その時代、韓国はこういう社会状況だった」という構成で文章が進むけれど。

映画では、「韓国の社会情勢」は取り上げられない。

私は原作を読むまで、韓国では男児が大事にされるあまり、お腹の子どもが女児と分かったときに中絶をする人が多かったということを知りませんでした。

そういう前提を知っているのと知らないのとでは、あまりにも情報量が違ってくる。

私は、原作を読んだあとに映画を見たら、少し物足りなく感じてしまいました。

原作を読んでないけれど映画を見た人には、ぜひ原作を読んでみてほしい。

ジヨンを含む、女性の背後にある大きな影がどれほどのものか、読んでみてほしい。

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と書きましたが、内容が内容なので、案の定ベソベソ泣きました。笑

お母さんが泣いているシーンでは一緒にめっちゃ泣きましたね…。
まわりの人も泣いてたなぁ…。
そうそう、このコロナ禍にも関わらず、平日のお昼にこの映画を見に来る人がいるのだなぁと、とっても嬉しくおもいました。勝手に。
とてもよい映画体験でした。

「フェミニズム」という単語が嫌いです


最後に。

実は私、「フェミニズム」という単語は、嫌いなのです。

同様に、「戦争反対」という単語も嫌いです。

どちらも『性差別ありき』『戦争ありき』で成り立つ言葉だからです。

性差別がなければ、「フェミニズム」という言葉は生まれていません。

戦争がなければ、「戦争反対」という言葉はなくなるでしょう。

私は、「フェミニズム」という言葉がなくなる日をとても楽しみにしています。
願わくば、私が生きているうちに、過去の遺物になってほしいです。

「82年生まれ、キム・ジヨン」という作品が、過去にはこんなことがあったのかと珍しく思われる資料になるような、そんな時代になりますように。